Posted by lawrhino - 2007.06.03,Sun
昨晩のエントリで少し触れましたが、
相国寺美術館で伊藤若冲展に行ってきました。
伊藤若冲の描いた「動植綵絵」が約120年ぶりに
一堂に会するというイベントです。
内部は2部構成になっていて、前半が襖に描かれた水墨画、
後半はメインの動植綵絵が展示されていました。
前半の水墨画には対して興味をそそられなかったけど、
後半の動植綵絵の展示されているホールに入った瞬間に、
そこに辿り着くまでの3時間オーバーという時間を
忘れさせてくれる程のインパクトがありましたね。
まさに圧巻のひとことです。
ホール内全てが入口から見渡せるパノラマビューになっていて
四方の壁に若冲の色とりどりの絵が展示されています。
久し振りに絵を見て興奮しました。
動物の細部までを緻密に描きこまれているのが印象的でした。
魚を描いている絵があったんですが、
若冲は海に行った事がなかったらしいにも関わらず、
今にも動き出しそうな躍動感ある描画には驚きました。
ただ全ての動物に共通して目が同じ形だったのが
面白かったです。
丸の中に丸を書いただけ単純な目で
水墨画のとこにあった虎の目も、
動植綵絵にあった鶏の目も、魚の目も全て同じ形に見えました。
やはりあれだけよく観察して細部まで描きこむ人でも
目を描くのは難しいんでしょうか。
それともなにかこだわりの元に描いていたんでしょうか。
絵の見方なんて人それぞれだと思いますが、
自分の場合、書き手の理由を考えながら見るのが好きで
何故この対象をここに配置したんだろうとか、
鴈の群れの中で一匹だけ色の違うのがいるけど、
どうしてこの一匹にしたんだろうとか
ついつい理由を考えてしまいます。
そんな中で一つ素朴な疑問。
私は義務教育以来、絵なんて描いた事がないんで感覚が分らないんだけど、
絵を描く人達は絵を描き始める時、どの部分から描き始めるんでしょう?
どこから描き始めたらいいかって難しい問題だと思いませんか?
なんとなくそこで最後の印象まで決まっていくんじゃないだろうかって
思ってしまいます。
だってコンピューターと違ってやり直しがきかないじゃないですか。
相国寺美術館で伊藤若冲展に行ってきました。
伊藤若冲の描いた「動植綵絵」が約120年ぶりに
一堂に会するというイベントです。
内部は2部構成になっていて、前半が襖に描かれた水墨画、
後半はメインの動植綵絵が展示されていました。
前半の水墨画には対して興味をそそられなかったけど、
後半の動植綵絵の展示されているホールに入った瞬間に、
そこに辿り着くまでの3時間オーバーという時間を
忘れさせてくれる程のインパクトがありましたね。
まさに圧巻のひとことです。
ホール内全てが入口から見渡せるパノラマビューになっていて
四方の壁に若冲の色とりどりの絵が展示されています。
久し振りに絵を見て興奮しました。
動物の細部までを緻密に描きこまれているのが印象的でした。
魚を描いている絵があったんですが、
若冲は海に行った事がなかったらしいにも関わらず、
今にも動き出しそうな躍動感ある描画には驚きました。
ただ全ての動物に共通して目が同じ形だったのが
面白かったです。
丸の中に丸を書いただけ単純な目で
水墨画のとこにあった虎の目も、
動植綵絵にあった鶏の目も、魚の目も全て同じ形に見えました。
やはりあれだけよく観察して細部まで描きこむ人でも
目を描くのは難しいんでしょうか。
それともなにかこだわりの元に描いていたんでしょうか。
絵の見方なんて人それぞれだと思いますが、
自分の場合、書き手の理由を考えながら見るのが好きで
何故この対象をここに配置したんだろうとか、
鴈の群れの中で一匹だけ色の違うのがいるけど、
どうしてこの一匹にしたんだろうとか
ついつい理由を考えてしまいます。
そんな中で一つ素朴な疑問。
私は義務教育以来、絵なんて描いた事がないんで感覚が分らないんだけど、
絵を描く人達は絵を描き始める時、どの部分から描き始めるんでしょう?
どこから描き始めたらいいかって難しい問題だと思いませんか?
なんとなくそこで最後の印象まで決まっていくんじゃないだろうかって
思ってしまいます。
だってコンピューターと違ってやり直しがきかないじゃないですか。
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